2011/6/18 南山大学哲学セミナー「意識の哲学の最前線(2)」記録

2011年6月18日に開催された今年度第1回目のセミナーでは、京都大学の山口尚さんをお招きして、「メアリー・神秘主義・単純性の神話」というタイトルで、知識論証(knowledge argument)についてお話ししていただきました。以下はその記録です。

講演の概要

 山口さんの発表の目的は、現象的性質としての色を、対象の性質と単純に同一視することなしに、物理的性質に還元することである。

 まず、なぜ色は物理主義にとって問題になるのか。世界のミクロ物理学的な記述の中には、色にかんする記述は見出されないからである。それだけではない。ジャクソンによるメアリーの思考実験は、世界のミクロ物理学的な事実を知ることによっては、色にかんする事実を知ることはできないことを示しているように思われる。この思考実験によれば、色を物理的世界に位置づけることは不可能であるように思われるのである。これにたいして山口さんは、メアリーの思考実験において、ミクロ物理学的な事実をすべて知っていたメアリーは、端的にすべての事実を知っていたのであり、それゆえ知識論証は誤りであるという。

 このことを理解するためには、ぼやけた知覚について考えることが重要になる。われわれの色知覚には個人差があり、人によってきめの粗さに違いがある。このことは、色を特定の物理的性質に還元することを困難にするように思われる。しかし、知覚においては一般的に、クリアカットな対象がはっきりしない仕方で知覚されることがある。このようなぼやけた内容をどのように説明するのかが、物理主義にとっての課題となる。

 山口さんによれば、様相実在論によってぼやけた知覚内容を分析することが可能であるという。この説明によれば、知覚とは可能的個体の中から自分の候補を限定するという、自己的態度の一種である。また、知覚対象は、可能的個物の対象として分析される。このような説明によれば、幻覚は、自分の候補に現実世界の自分が含まれていないケースとして分析できる。また、ぼやけた知覚は、知覚対象にさまざまな可能的個物が含まれていることとして説明できる。さらに、きめの粗さが異なる二人の知覚者が、どちらも正しく長さや色を知覚していると言うことも可能になる。このような理論によれば、色は物理的性質の集合と分析されることになる。

 このような理論を採用するならば、物理的性質をすべて知ることができるならば、それらを組み合わせて、あらゆる色を構成することができることになる。つまり、メアリーは色についての知識を得ることができるのである。

 山口さんによれば、このような説明に違和感を感じる背景には、単純性の神話とも言うべきものがあるという。色が単純なものとして経験されるならば、色は実際に単純なものであり、なにものによっても分析されないという考え方である。しかし、このような直観が正しい保証はないのである。

 以上の説明によれば、様相実在論を採用することにより、色を物理的性質によって分析することが可能になり、知識論証は誤りであると論じることも可能になる。これが山口さんの結論である。

以上のような講演にたいして、参加者からは、

・色にかんする物理主義を維持するために様相実在論を採用するのは、物理主義者にとって代償が大きすぎないか?
・同様の説明を、様相実在論を採用せずに、機能主義的に展開できないか?
・この説明では、メアリーはいかなる意味で色についての知識を得たことになるのか?

といった質問が提出され、活発な議論が交わされました。今回は、学部生や分析哲学以外の研究者など、さまざまな方が出席してくださいましたが、思った以上にかみ合った議論ができたのは、主催者として嬉しい驚きでした。