南山大学人文学部人類文化学科鈴木ゼミ学生企画
「非配偶者間人工受精(AID/DI)における子どもの出自を知る権利」講師:加藤英明氏
講演の概要
DIとは主に男性側に不妊の原因がある時に、他の男性からの精子提供を受けることで妊娠を可能にする不妊治療のひとつである。最初に利用されたのは第一次世界大戦後のアメリカで、戦争から帰還した男性の多くが無精子症に罹患していたからである。日本では1949年に慶応大学病院が最初に行い、現在までに1万5千人から2万人が生まれている。DIの利用については賛否両論であり、優生学か倫理的な人権のどちらを優先すべきかで対立している。これらの意見対立が平行であるため、未だ日本には精子・卵子提供に関する法律が定められていない。多くの場合の不妊治療の目的は子どもを作ることであるから、妊娠が確認されると病院は治療完了としたのでそれ以降の親については深く追跡しなかった。ここでは不妊の両親についての議論は多くなされる中、生まれた子どもについての議論や配慮がなかった。
子どもの出自を知る権利について、国によって考え方が大きく異なる。日本でDIが利用され始めた当時、子どもが自身の出自を知ることは難しかった。彼らが出自を知ったとしても何も利益がないという医師や哲学者などの判断により、病院が親に対して出自を隠すように指導したからである。また民法772条の嫡出推定という、子どもを生んだ母親の夫が父とされるという法律などもDIであることを隠す要因となっている。更に人工授精によって生まれた子どもは社会的に絶対的に少数であるため、議論される場が少なくて結果的に子どもの権利については考えられなかった。これらによって親はDIを受けることを誰にも相談せず、子どもに対して事実を教えないとする人が大半を占めた。
1990年に国際連合で「子どもの権利条約」が発表され、日本はこれを批准した。条約には子どもは父母について知る権利を有していることが明記してあり、批准したということは憲法と同等の効力を持つということになる。しかし日本では法律化は進められておらず、日本産科婦人科学会が精子提供についてガイドラインを発表しているのみである。世界で最初に子どもの出自を知る権利について認めたのはスウェーデンである。人工授精法という法律によって匿名の精子・卵子提供を禁止し、子どもが成人したら出自について知ることが認められた。スウェーデンに続いてヨーロッパの国々も年齢差はあるが情報を開示するように法律を整えていった。他にもアメリカではDIで生まれた人の遺伝的に兄弟の可能性がある人を探すというサービスが存在する。このサービスを用いてビル・コードレイ氏は遺伝的な兄弟との対面を果たしている。これらの国々と日本を比較すると、日本では子どもについてほとんど考えられておらず、制度や法律が整っていないということが大きな問題である。
加藤氏はDIの当事者として、両親に自身の出自を29年間隠されていたという事実を知った時、それまでの父との思い出が嘘になってしまったと感じ、自分像が消失するほどの衝撃を受けたという。当時DIを行っていた飯塚理八氏は自ら選別した医学生から提供を受けたから遺伝病の可能性は低く、兄弟がいたとしても出会うことはないと述べていた。これは少々楽観的であり、子どもの不安に向き合っていないと言えるだろう。
ここでの子供の不安とは、不適切な告知、親の情報、相談体制の欠如、生殖補助医療そのものへの不信感である。これらの問題は子ども・両親・医師という対立を生み出しているため、社会で取り上げて考えるべきである。
現在ではDIで生まれた子どものグループ(DOG)という組織があり、ここでは子ども同士の情報交換や権利を守るための啓蒙活動を主に行っている。自分自身がDIで生まれた子どもであると知って組織に連絡を取った人が約10人であるため、多くの子どもたちは出自を知らされていないか知っていても名乗り上げられない人である。このような人を少なくし、DIによって生まれた子どもたちの権利を守るために、まずは提供者の情報公開をすることが必要である。
加藤氏による講演の様子(1)
加藤氏による講演の様子(2)
質疑応答
現在父との関係はうまくいっているか?
→事実を知った後の少しの期間は父と呼べなかったが、今では普通。母はDIの話題に触れたがらないが、父は達観しているようにみえる。父親はあくまで育ての父親だと自分は思っている。
ドナーの権利が考えられたことはあるか?
→子どもの権利よりも更に話題になりにくい。提供したことを後悔している可能性があるから心のケアも必要である。しかし彼らからの声が全くないため、社会的にも対応しにくい。
DIは優生思想に基づいて人類を改良しようとしているのではないか?
→かつてノーベル賞を取った男性の精子を得るというビジネスが存在したが、それらはことごとく失敗している。道徳的に許されないことであるし、人工的に優秀な人間を作ることは恐らく無理だろう。
DIを複数回受けた時、精子は前回と同じ提供者のものが利用されるのか?
→追跡調査が詳しく出来ていなかったこともあり、判断は難しい。DIで生まれた子どもは1人っ子が多いが2人以上の兄弟がいる場合もある。慶応大学病院では恐らく別の提供者の精子が利用されたが、何人かの精子を混ぜているところもあるという。
現状に法律が追い付いていないのではないか?
→遺伝で親子とする、社会的関係で親子とするなど、定義が社会や法律での定義が明確でない。関係性で人間を定義するのも1つの手段であるが、どれが正しいのか判断できないのが現状である。
父親が事実を知っているから子どもと関係がうまく築けないのか?
→それぞれの家庭によって築いてきたものがあり、父親と血が繋がっていないから関係がうまくいかないと一般化することはできない。事実を知って提供者を探すことは育ての父親を否定するのではなく、また提供者は全くの他人であり、人間として会いたいだけである。遺伝上で繋がっているという理由だけで正しい親子と考えることはしないでほしい。
情報開示の制度や法律が制定されて子どもたちが出自について正しく知ることができるようになったとしてもDIは用いない方がよいのだろうか?
→まずDIは不妊治療の一環であるため、行われなくなるということはない。大々的に行われていたことが水面下で行われるようになるだけだろう。そうならないようにある程度制度化して利用を規制していくべきである。基本的には用いない方がよい。(DIを法律で禁止するなど規制すれば)水面下で行われるようになるだけだろう。
質疑応答の様子(1)
質疑応答の様子(2)
学生スタッフのコメント
今回の学生企画のテーマとしてDIを取り上げたのは、不妊治療についての議論の中で「そもそもDIで生まれることはどういうことか?」という疑問が企画者4人の中で共通にあったからです。身近なことではないこともあって想像し難く現実味が薄かったので、これを機に正確に理解するために加藤英明さんを講師としてお招きして講演会を開かせていただきました。不妊治療の主体となるのは両親であり、子どもを授かることが治療の最終目標とされています。しかし生まれるのは人格を持つ人間であり、彼らは自らについて知る権利は当然に有しています。しかし日本の諺にもあるように、生みの親を知ることは育ての親に対して親不孝を働いているように捉えられてしまいます。まずはこの考え方を改め、自分の出自を知りたい理由を日本社会で生きる人が理解する必要があると思いました。
会場準備をする学生スタッフと社会倫理研究所のスタッフ
学生スタッフ
天野夏帆(司会)
井川瑞希(報告作成)
稲垣みちる(広報)
羽木さなえ(運営)