シンポジウム「脳科学とどうつきあうか」報告

本研究プロジェクトを総括するイベントとして、南山大学社会倫理研究所の協力を得て、2010年12月11日に、南山大学名古屋キャンパスにてシンポジウム「脳科学とどうつきあうか」が開催された。シンポジウムは63名の参加者を集め、提題者3名による講演の後に活発な質疑応答が行われ、予定終了時刻を1時間近く超過する盛り上がりを見せた。以下はその報告である。

シンポジウム前半では、3人の提題者が講演を行った。まず、南山大学人文学部の鈴木貴之が、「インチキ脳科学はなぜ危険なのか」という題で、科学哲学・科学論の観点から、脳科学ブームの現状と問題点を論じた。講演では、はじめに、脳科学ブームの現状や、実際にどのような本が出版されているのかが簡単に紹介された。次に、インチキ科学一般とインチキ脳科学を対比しつつ、インチキ脳科学にどのような問題があるかが論じられ、インチキ脳科学はまっとうな脳科学と連続的であり、それゆえさまざまな社会政策に取り入れられる可能性があり、影響が大きいという点に、インチキ脳科学の特殊性と問題性があるということが指摘された。最後に、インチキ脳科学にだまされないために何が必要かということについて、一方で、脳科学研究者は、一般市民に向けた情報発信にいっそうの努力が必要であり、他方で、一般市民は、最低限の科学リテラシー、とくに、個別の科学的知識ではなく、科学の基本的な考え方を理解する必要があるということが指摘された。

次に、信州大学人文学部の菊池聡先生が、「疑似科学という信念と錯誤ー心理学からのアプローチ」という題で講演を行った。菊池先生によれば、超常現象や疑似科学を信じてしまうことは、ある意味では人間の心のメカニズムにとってごく自然なことである。講演では、このことが、確証バイアスの実験などを通じて説得的に説明され、また、現在流通している疑似科学の多くが、実際に確証バイアスによって説得力を持つように見えるものであるということが明らかにされた。さらに、確証バイアスに陥らないようにするためには、2×2のマトリックスによって、ある事柄ともう一つの事柄に関係があるかどうかを調べる必要があるという説明があった。最後に、とはいうものの、確証バイアスをはじめとする心のメカニズムは、われわれが生きていく上で有用なものでもあり、この種のバイアスをなくすことはきわめて困難であるということ、また、それゆえに、バイアスに陥らないためには、ある意味で非常に不自然な思考法を意識的にとる必要があるのだ、という指摘があった。

最後に、大阪大学大学院生命機能研究科の藤田一郎先生が、「脳ブームの迷信ー虚構の指摘に勇気がなぜ必要か?」という題で講演を行った。講演ではまず、ニセ脳科学はときに社会的弱者にとってきわめて有害であり、また、まっとうな脳科学の信頼を損なうことにもなるため、放置できない問題であるということが指摘された。次に、藤田先生ご自身の体験をもとに、ニセ脳科学の問題を指摘する活動には、研究時間を奪われるというリスク、研究者としての信頼を損なうというリスクなど、さまざまなリスクがあるという説明があった。しかし、藤田先生によれば、ニセ脳科学の問題を指摘するという活動は、活動の重要性を自覚し、ある程度の時間と労力を割く覚悟さえあれば、十分に可能なものであるという。最後に、脳科学が社会とより健全な関係を築くためには、脳研究者は研究成果を社会にわかりやすく伝えたり、間違った情報を正していったりすることが必要であり、マスメディア関係者は、情報の信頼性を高める努力が必要であり、一般市民は、少しだけ理屈っぽくなる必要があるという指摘があった。

以上が提題の概要である。概要からもわかるように、三者の提題は、相互に密接に関連するものであり、インチキ脳科学には大きな問題があるということ、専門家の側でも一般市民の側でも何らかの対応が必要であるということについては、三者の意見は一致していた。

シンポジウム後半は、名古屋大学大学院情報科学研究科の戸田山和久先生の司会のもと、質疑応答が行われた。質疑応答では、参加者から提出された質問票や、フロアーからの質問をもとに、活発な議論が行われ、以下のような問題が論じられた。

・鈴木はまっとうな脳科学とインチキ脳科学が連続的であると指摘したが、藤田先生からは、両者は明確に区別できるのではないかという意見があった。どっちなのか?
→鈴木:学術誌に研究論文が掲載されるかどうかというような場面では、まっとうな研究とそうでない研究は明確に区別されるが、研究内容が社会に向けて発信される際には、両者はもう少し連続的になるのではないか。

・インチキ科学にだまされるのは、確証バイアスだけでなく、周囲に同調する心理なども関係しているのでは?
→菊池:疑似科学を信じる心のメカニズムは確証バイアスだけではないので、他の要因が働いていることもありうる。

・脳科学が一番役立っているのはインチキ脳科学商品なのか?
→鈴木:そうではない。精神疾患の治療、手足が不自由な人の生活支援など、さまざまな応用可能性がある。
藤田:近年、脳科学についても産学連携の動きが始まっている。今後数年の間に大きく状況が進展するかもしれない。

・脳トレのようなものに頭をよくする効果がないとしても、本人が効果があると信じて楽しんでやっているのであれば、それを問題にするのは余計なお世話では?
→三者:短期的に考えれば、楽しければよいという対応も問題ないが、より長期的な視点に立ったとき、インチキ科学を容認するような考え方はさまざまな形で社会に悪影響をもたらすので、見過ごすことはできない。

・インチキ脳科学にだまされないための科学リテラシーは、現在の理科教育や社会科教育などでも十分身につくのでは?
→三者:現在の教育では科学リテラシーや批判的思考力が主題化されていないため、それだけで身につけるのは難しい。
菊池:疑似科学はわれわれの自然な考え方に由来するものなので、制度的な教育だけでそこから完全に抜け出すことは難しい。

(文責:鈴木貴之)

スズキの感想

シンポジウムが大成功に終わり、大変嬉しく思っています。講演者の菊池先生と藤田先生、司会の戸田山先生、社倫研のみなさん、参加者のみなさんに感謝します。

シンポジウムが終わってから一つ考えたのは、疑似科学を信じることは人間の心のメカニズムに由来しているのだから、疑似科学を信じないようにすることは極めて難しい、という菊池先生のお話についてです。このメカニズムが極めて根強いものだとすれば、いくら理詰めで考えたり、説得したりしても、疑似科学を信じている人にそれを捨てさせることは難しいのかもしれません。そうだとすると、理詰めのやり方とは別の方法(疑似科学の宣伝を禁止するとか、疑似科学の印象を悪くするイメージ操作をするとか)で、疑似科学の蔓延を防がなければならないことになります。本当に疑似科学をなくしていこうとするならば、そのような可能性も真剣に検討しないといけないのかもしれません。しかし、やり方によっては、当然倫理的な問題もいろいろ生じます…