2011/7/15 南山大学社会倫理研究所 2011年度シリーズ懇話会「脳科学が社会を変える?」第3回懇話会「シャブにハマるのは悪いヒトか?ー薬物依存から見える人と社会」記録

7月15日に開催された第3回の懇話会では、神経薬理学を専門とされている廣中直行先生に、依存症にかんする神経科学研究の現状と、社会的な課題についてお話ししていただきました。前回に続き厳しい暑さのなか、26名の方にご参加いただきました。廣中先生からは、薬物使用の歴史から社会復帰支援の現状まで、幅広い話題についてお話しいただき、講演の後の質疑応答も活発に行われました。講演と質疑応答の概要は以下の通りです。

講演の概要

 アルコール、タバコなどと並んで、現在違法薬物に分類される物質には、古来から宗教儀式などに使用されてきたものが多い。違法薬物の使用が厳しく取り締まられるようになったのは、近代衛生思想が確立されて以降のことである。では、なぜ違法薬物の使用はよくないのだろうか?

 違法薬物の問題は、強迫的な欲求をともなう物質依存を引き起こすことにある。なぜ依存が生じるのかということについては、二つのアプローチがある。20世紀の半ばまでは、物質依存は意志の弱さのような個人の心の問題が原因であるという、心理学的な説明が有力だった。しかし、20世紀後半になると、薬物が作用するメカニズムが明らかになり、生物学的な説明が有力になった。たとえば、サルを用いた動物実験では、サルでも物質依存になることが知られている。これは、物質依存に生物学的な基盤が存在することを示唆している。近年、この生物学的な基盤は脳内報酬系であることが明らかになっている。報酬系は、生物にとって報酬を予測し、行動をガイドする役割を持っているが、違法薬物は、このシステムの働きを変容させるのである。

 他方で、物質依存に関わる心的要因についても新たな知見が得られている。たとえば、依存症患者は将来の報酬を待つことができない、いいかえれば衝動的である、という実験結果がある。また、ギャンブル課題を用いた研究によれば、われわれの中にはギャンブルで大負けを繰り返す人が一定数存在し、また、それらの人々は、自分自身を慎重で熟慮的であると自己認識していることが明らかになっている。物質依存に陥りやすい人は、自分自身の意識としては熟慮的だが、無意識的な行動においては衝動的なのかもしれない。

 依存症は一生続く問題であり、また、社会的な弱者が犠牲になることが多いため、薬物乱用には一定の規制が必要であることは間違いない。しかし、現在の日本では、依存症患者を治療し、社会復帰を支援することに十分な労力が割かれていないということが問題である。現在の日本は、違法薬物の使用者にたいして厳しい処罰を科す政策をとっている。しかし、厳しい処罰を科すことは根本的な解決にならず、むしろくり返し乱用に陥る人々を増やすだけに終わる危険性がある。依存症患者の社会復帰支援をためらうことには、薬物依存を自己責任と捉えることなど、さまざまな理由が考えられるが、社会として、たんなる処罰主義を超えた対応が必要である。

質疑応答の概要

依存症患者は健康なときの記憶がないために治療が困難という話があったが、どういうことか?
→二つの意味がある。依存症患者の中には、生育環境に問題があり、そもそも楽しい幼少期の記憶がない人が多いという問題と、薬物使用が認知機能の低下を引き起こし、実際に記憶障害を引き起こすという問題である。

薬物以外でも脳内のドーパミン量は増加するのか?薬物以外でも自己投与のような現象が起きるか?
→食べ物(脂分や糖分)、性行動、けんかなどによってもドーパミン量が増加することが知られている。ギャンブルなどは、動物での実験が難しいため、脳内の変化の詳細はまだわかっていない。自己投与については、薬物以外ではまだ調べられていないが、おそらく薬物以外でも同じようなことが起こると思われる。

依存症になりやすいかどうかに、精神的な問題や薬理学的なメカニズムだけでなく、体質が関係する可能性はあるか?
→アルコールなどでは遺伝子に由来する個人差があることが知られている。ただし、誰でも依存症になりうるということも重要。

隠れた患者も多くいる?
→いると思われる。しかし実態把握は難しい。依存症治療にあたる病院や厚生労働省も、潜在的な依存症患者がかなりの数存在することは理解していると考えられるが、現状では専門的な治療のできる医師が不足している。

なぜ軽症例が増えたのか?
→乱用される薬物の種類や使用法が変化したこと、早期発見が増えたことなどが関係していると思われる。

ある物質に対する依存から別の物質に対する依存への転移のような現象はあるか?
→ありうる。実際、復帰支援施設で生活している人の中にはヘビースモーカーが多い。比較的害の少ない依存に切り替えられるのであれば、一時的には良いことかも知れない。関連して、代替薬物を用いた治療も始められている。

元依存症の人が運営する施設も増えているが、どう評価するか?
→とても良いこと。自分自身の経験が活かせるから。経験者でなければわからないことも多い。

懇話会開催後、私からもいくつか当日うかがうことができなかった質問をお送りしたのですが、それらについても廣中先生からコメントをいただくことができました。以下がその概要です。

スズキの疑問と廣中先生からの回答

(1)依存症患者は割引率が大きくなる=衝動的になるという実験結果を紹介されて、衝動的な人は依存症になりやすいのかもしれないというお話しをされていましたが、この結果は、衝動的な人が依存症になりやすいとも、依存症になると衝動的になるとも解釈できると思います。どちらが正しいかを示唆するようなデータはあるのでしょうか?,br>
→どちらの可能性もあるが、割引率は遺伝的な要因によって決まっているという研究や、アルコール依存やタバコ依存の人の子供は割引率が大きいというような研究があり、薬物が原因ではないように思われる。ただし、依存症患者は依存している物質にかんしては割引率がきわめて高いことも知られているので、依存症が原因であるという一面もありうる。

(2)ギャンブル課題の成績が悪い人というと、ダマシオの研究などで有名な腹内側前頭前野の損傷患者を思い浮かべます。ダマシオたちの解釈では、このような患者は、脳の損傷の結果、悪い山を選択しても恐怖感のようなものが感じられず、まずい選択を続けてしまうとのことでした。依存症患者や負けが込む一般の大学生の場合は、それとは少し違った説明になるのでしょうか?
→同じだと思われる。依存症患者もソーマティックマーカーの発生に問題があるということになる。しかし、前頭眼窩野の機能不全は、薬物依存よりも病的賭博、ネット依存、食べ物依存などについて言われることが多いので、広範な影響を持つのだと考えられる。

(3)依存症の生物学的なメカニズムが解明されると、当然、違法薬物以外も脳内に同じような変化を引き起こすことが明らかになる可能性があります(すでに、アルコール、ギャンブルなどについてはある程度研究が進んでいるようですが)。また、脳の変化には個人差があることも当然考えられます。そうなると、違法薬物以外の規制にかんする政策に変化が生じたり(具体的にはある種のギャンブルにたいする規制を強めることなど)、依存の危険があるものにたいするアクセスを個人ごとに制限したりといった可能性が、将来的には考えられます。こういった見通しについて、何かご意見はございますでしょうか?
→すでに、リスク要因を多く持つ人には子供のときからストレスマネジメントなどを学ばせて、依存に陥らないようにするというような構想が存在する。また、薬物以外の依存対象にかんしては、健康を重視する人々と各種業界団体のせめぎ合いがある。自分(廣中先生)としては、弱者を保護し、ブラックマーケットを縮小し、社会復帰を進めるといった社会政策を進めつつ、自由の範囲が広がるような形を目指したい。

いずれも大変興味深いお話しです。とくに、(3)については廣中先生もこれから考えて行きたいとのことでした。依存症のメカニズムの解明は、(とくにかなり素朴な理解のレベルでは)さまざまなものについての管理強化につながる可能性が高いように思われるので、正反対の方向に政策を持って行くことは可能かという問題は、大変興味深く、私自身もこれから考えてみたいと思っています。

(文責・鈴木貴之)