2011/5/20 南山大学社会倫理研究所2011年度シリーズ懇話会 「脳科学が社会を変える?」 第1回懇話会「うつ病は「脳の病気」か?「心の病気」か?」記録

2011年度のシリーズ懇話会は、「脳科学が社会を変える?」というテーマで、脳科学研究の成果が、われわれの社会実践や社会制度にどのような影響を与えるか、とくに、自由や責任をめぐる実践や制度にどのような影響を与えるかという問題について考えて行きます。

5月20日に開催された第1回の懇話会では、精神科医の田所重紀さんをお迎えして、うつ病にかんする脳科学研究や薬物治療の現状と、そこにひそむ課題や問題点などについてお話しいただきました。5月としてはかなりの暑さのなか、55名の方にご参加いただき、講演の後の質疑応答も活発に行われました。講演と質疑応答の概要は以下の通りです。

講演の概要

講演では、まず、うつ病には何らかの脳の異常が関連していることにはさまざまな証拠があるが、脳の異常とうつ病のさまざまな症状のあいだには、きれいな対応関係が成り立たないのではないかという疑問が提示された。現在では、うつ病の診断は患者さんが訴える症状に基づいて下され、その点で、身体的な異常が原因として特定されている病気や、単一の原因が想定されている症候群とは異なった性格を持っている。また、現在一般的なSSRIなどの抗うつ薬が何にどのようにして効くのかについては、明らかでない部分が多い。それらのことを考えると、脳の状態の変化だけによって、うつ病のさまざまな症状を説明することはできないかもしれない。うつ病にかんしては、脳科学的な研究だけではなく、自己評価のゆがみや対人関係の問題など、さまざまな要因から説明や治療法が提案されており、それらのいくつかは、一定の効果を持つことが知られている。したがって、うつ病には生物学的なレベルから社会的なレベルまで、さまざまな要因が関係しており、精神科医は、どのレベルに働きかけるかをその都度判断することが必要である。このような複雑な実態を考えるならば、うつ病は脳の病気か心の病気かという問いは、不適切なものであることがわかる。

質疑応答の概要

うつは昔からあったのか?国によって発生頻度に違いはあるのか?
→きちんとした疫学研究は少なく、診断基準の問題もあって正確な数による比較はできないが、おおむね普遍的らしい。

新型うつというものがあるらしいが?
→むしろ非定型うつとして捉えた方がよい。また、症状には個人差があり、むしろそちらの方が重要。

うつ病と否定的な性格などは異なるのか?
→病的な抑うつ気分は持続するものであり、健康な人の気分のように波がないという点で異なる。また、集中力の低下など他の症状への広がり方も異なる。

教育や社会政策でうつをなくすことはできるか?
→おそらく無理だろう。また、生活に支障をきたさないレベルのうつは、エネルギーの源として肯定的な意味を持ちうる。うつをすべて排除しようという社会の風潮は、むしろマイナスかもしれない。

脳の研究が進めばうつの理解も進むか?
→脳だけではすべてはわからないと思われる。人間全体を理解しないといけない。

薬だけでうつ病は治せると考えている人もいるが?
→精神科医にもそのような人は多い。仮説としては問題ないが、それを無条件に前提すべきではない。

うつ病の原因がないとは?
→何も原因がないのではなく、人によって原因が異なり、すべての患者に特定の原因を見出すのは難しいだろうということ。

スズキのコメント

うつ病にかんする脳科学的な研究は、うつ病には脳の異常が関連していることを明らかにしています。田所さんのお話にもあったように、その全貌はまだ明らかになっていません。しかし、うつ病には脳が関係しているということだけでも、重要な意味を持っています。なぜならば、1.うつ病の原因は本人の気の持ちようだという見方が誤解であることを明らかにし、2.他の身体的な病気と同様に、うつ病にも薬理学的な治療が可能であることを明らかにするからです。

問題は、うつ病、あるいはより一般的にいって精神疾患を、がんや糖尿病などの身体的な疾患とまったく同じように考えてよいのか、ということでしょう。田所さんのお話は、そう単純に考えるわけにはいかないのでは、という趣旨でした。この点について、少し考えて見ましょう。

うつ病と身体的な疾患を区別する第一の論拠は、うつ病の症状と脳状態や薬理作用が対応関係が成り立たないという話でした。しかし、これが、原理的に対応関係が成り立ち得ないということなのか、たんに現状では成り立っていないというだけなのかは、大きな違いだと思います。前者を主張するにはそれなりに強い論拠が必要で、逆に後者を主張するだけでは、症状の分類を(たとえば神経科学の知見にそくして)改善すれば、将来は、各症状と脳の状態のあいだに、きれいな対応関係を見出すことが可能かもしれません。対応関係を見出すことが原理的に不可能だとしたら、その理由は何でしょう?

もう一つの論拠は、うつ病には脳、メタ認知、対人関係、社会とさまざまな要因が関係しているということです。これはまったくその通りだと思いますが、たとえば脳の異常と対人関係の問題は、近位の原因と遠位の原因のようなものと言えるのではないでしょうか。つまり、対人関係における問題がストレスとなって、脳の異常を引き起こし、それがうつ病症状となるのだと考えれば、これは食生活と高血圧の場合などとそれほど違わない気がします。そして、抗うつ薬や降圧剤を飲むだけでは不十分で、対人関係や食生活を改善しないかぎり、根本的な解決には至らないという点でも、両者は似ているように思えます。

これら二点は、うつ病(あるいは精神疾患一般)が、身体的な病気とはやや性格を異にするものであるということの論拠になる点だと思いますが、どれだけ決定的かという点には、まだまだ議論の余地がありそうです。これについては、田所さんが取り組まれている精神医学の哲学の発展を期待したいところです。

その後、講演者の田所さんからコメントをいただきましたので、以下にコメントを掲載いたします。

田所さんのコメント

うつ病のみならず広く精神疾患一般と脳の異常との関係を研究し、そうした関係ついての知見を増やしていくことは、精神医学の発展にとって重要かつ不可欠であり、現に私もそのような研究に従事しております。しかしその一方で、こうした知見が社会一般の精神疾患に対する考え方や見方に対してどのような意義をもつかについては、もう少し冷静に反省する必要があると思っております。

鈴木先生が指摘されている利点、すなわち、精神疾患が脳の病気であることが明確になると、(1)精神疾患をもつ人に対する偏見を取り除ける、(2)他の身体疾患と同様の診断や治療を行うことができる、という2点はしばしば主張されていることですが、残念ながらいずれも、「精神疾患は脳の病気である」というテーゼと本質的な関係をもっていないと私は考えます。

まず(1)についてですが、精神疾患をもつ人に対する偏見を生むのは、たとえば「ある種の精神疾患は幼少時の劣悪な養育環境にある」といったような精神疾患に対する理解全般であり、それが脳の病気であるか否かとは本質的に関係がありません。たとえば、「両親の劣悪な養育によって脳に不可逆的なダメージを受けた」という脳の病態が想定されたとすれば、これはその病気に罹患している人の両親に対する偏見を助長することになります。逆に、たとえばある種のうつ病を「誰しも経験しなければならない成長のためのイニシエーション」とみなす社会があるとすれば、そこでは抑うつ状態にある人に対する偏見は決して生じないはずです。

次に(2)についてですが、この考えの背後には非常に偏狭な「医学観」ないし「医療観」が潜んでいるように思います。すなわち、他の身体疾患と同様の診断や治療を行うことができないのであれば精神疾患を病気として認めない、という排他的なドグマです。もし、このようなドグマの支配下で精神疾患を脳の病気として理解しようとしているのであれば、それはまさしく本末転倒だと考えます。御存じの方も多いかと思いますが、精神科を受診される多くの患者さんが、他の諸々の身体科で「検査では異常がないからあなたは病気ではない」と言われた経験をもっています。現在の医療の世界では、他の身体科では扱えない「異常」や「訴え」を精神科が診るという一面があります。私はここにこそ、社会が医療に求める期待と、医療が実際にできることとの間の大きなギャップを感じます。私たち医療者が行うべきことは、現在の医療が社会からの期待に応えられない部分はどこにあるのかを明確にし、それに対して何ができるかを真摯に考えることであって、偏狭なドグマに固執してこうしたギャップを葬り去ることではないはずです。

さて、鈴木先生も正確に察して下さっているように、「精神疾患と一般身体疾患との間の不連続性」を示すことは、今回の私の講演の根底に流れる重要なテーマです。そして、その不連続性の論拠として示した事項がいずれも決定的なものではないことは、まさしく鈴木先生の御指摘の通りです。当然、これは私にとって最重要な研究課題となっているわけですが、ここでは私の背後にある研究仮説ないし哲学的立場について少しだけコメントさせて頂きます。

今回の講演で私が提示した精神疾患における3つの要素―生物学的要素、メタ認識的要素、社会的要素―のうち、一般身体疾患との不連続性に直接つながる重要な要素はメタ認識的要素です。この要素の最大の特徴は、言語の意味的連関に基づいた構造を有しており、脳を含めた私たちの身体が基づく因果的・法則的構造とは区別されることです。そして現在の私の研究仮説では、こうしたメタ認識的要素は、因果的・法則的構造に基づく生物学的要素には還元できない、すなわち、脳を中心とした神経生物学だけでは説明し尽くすことができない、という立場をとっています。ですから、うつ病の症状を言語の意味的連関に基づいて分類・整理している限り―もっとも、こうした分類・整理のし方を将来完全に捨て去れる可能性は否定できませんが―、脳の生物学的異常や抗うつ薬の薬理的作用との間には、文字通り強い意味で「原理的に」きれいな対応関係は成り立たないと考えます。

社会的要素についても、まだまだ議論の余地は多いのですが、基本的にはメタ認識的要素の延長で捉えるべきだと考えております。ですから、うつ病における対人関係の問題についても、「脳の異常をもたらす対人関係を改善する」といったような因果的・法則的側面には還元できない要素があると考えております。つまり、精神疾患における社会的要素は、「高血圧をもたらす食生活を改善する」といった因果的・法則的な側面ではとらえきれないような、意味論的・循環論的・全体論的な構造をもっていると考えます。実際、今回の講演で紹介した対人関係療法という精神療法においても、単純に「うつ病の原因になっている対人関係を取り除く」とか「ストレスフルな対人関係の原因をつきとめてそれを修正する」といった介入のし方では、決して上手く行かないのです。

以上のように、あらゆる精神疾患には、因果的・法則的連関に基づいた神経生物学には還元できないメタ認識的要素が含まれており―もっとも、それがどの程度含まれているかは疾患や状態によって様々ですが―、それが一般身体疾患との不連続性の起源になっている、という研究仮説を私はもっているのです。こうした私の哲学的立場を一言で表現するならば、精神疾患に対する非還元論者(Non-reductionist)―決して反還元論者(Anti-reductionist)ではないので誤解のないようにお願いします―ということになるかと思います。

こうした仮説をきちんと明確に論証し現在の立場を堅持できるのか、それとも論証できずに現在の立場を棄却しなければならなくなるのか、ということに関しては、「精神医学基礎論(Philosophy of Psychiatry)」における今後の私の研究成果に委ねられております。

いずれにいたしましても、的確かつ重要なコメントを下さったのみならず、今後の私の研究活動に対する激励の言葉まで下さった鈴木貴之先生には、この場を借りて改めて御礼申し上げます。

末筆ながら、今回の講演を企画・運営して下さった南山大学社会倫理研究所の皆様、そして何より私の拙い講演を熱心に聴講して下さったのみならず、非常にレベルの高い質問を投げかけて下さった参加者の皆様に心から感謝いたします。

このたびは本当に有難うございました。

田所さんからのコメントは以上です。田所さん、どうもありがとうございました。

(文責・鈴木貴之)