シリーズ懇話会 第1回「『ゲーム脳』に見る、エセ科学の広まり方」講演記録

 2010年5月21日(金)に、シリーズ懇話会の第1回として、フリーライターの府元晶氏による講演、「『ゲーム脳』に見る、エセ科学の広まり方」がありました。懇話会には学部生や一般の方なども含め、41名の方が参加され、質疑応答も活発に行われました。以下はその記録です。

 講演ではまず、2002年の『ゲーム脳の恐怖』発売前後の時期に、「ゲーム脳」理論が新聞や雑誌などのマスメディアで紹介され、その後半年ほどの間に急速に知られていった経緯が紹介され、続いて、ゲーム脳理論と、その根拠となる森氏の研究の概要が紹介された。

 講演者の府元氏は、何人かの専門家への取材に基づいて、2002年末に「ゲーム脳」理論批判の先駆となる検証記事を、インターネットの情報サイトに執筆している。講演では、この取材を通じて明らかになったゲーム脳理論のさまざまな問題点が紹介された。

 府元氏によれば、ゲーム脳理論には、まず、測定機器が標準的な脳波計ではなく、脳波の生データが公開されていないといった、実験手続き上の問題点がある。また、どのような作業でも繰り返せば「ゲーム脳」と同じ状態を引き起こすことや、「頭に良い」作業も「ゲーム脳」状態を引き起こすことにたいして、納得のいく説明がなされていない点で、理論の論理展開にも問題がある。さらに、「ゲーム脳」理論を主張する森氏は、テレビゲームについての十分な知識なしにテレビゲームをすべて一緒くたに論じており、テレビゲームそのものの理解にも問題がある。

 これらの問題点を指摘した府元氏の批判記事は、インターネット上でかなり大きな反響を呼び、批判記事のGoogleランクを上げようという運動が自然発生するなど、「ゲーム脳」理論に疑問を抱く人々の共感を集めた。しかし、既存のマスメディアでは、「ゲーム脳」理論はその後も肯定的に紹介され続け、2005年の寝屋川市での少年による刺殺事件や、2008年の秋葉原連続殺傷事件でも、(事実に反して)犯人がゲームに熱中していたことが犯罪の原因であるという趣旨の報道が繰り返された。また、各地の小学校で「ゲーム脳」の危険性を警告する文書が配布されるといった現象も見られるようになった。このように、「ゲーム脳」理論は、一般市民の間ではむしろ定着していった。

 府元氏によれば、「ゲーム脳」理論が受け入れられていった背景には、一方では、ゲームに対する一般市民の漠然とした不安を「ゲーム脳」理論がうまく説明してくれたという事情があり、他方では、インターネットを情報源として利用する人とそうでない人の間にギャップがあり、インターネットを利用せず、既存のマスメディアを主な情報源としている人々は、「ゲーム脳」理論の問題性に気付くことができなかったということがあるという。

 2004年後半以降、出版物の中にも「ゲーム脳」理論批判が見られるようになった。しかし、折からの出版不況で、「ゲーム脳」理論を批判するという消極的な内容の本は売れる状況になかったため、批判は、さまざまな本の一部に織り込まれることになり、広く一般読者の目に届くことにはならなかった。

 このような事情から、「ゲーム脳」理論は、現在でも教育関係者を中心に、多くの人々に信じられている。他方、府元氏によれば、近年のゲーム業界は、「ゲーム脳」理論に反論することよりも、脳トレソフトやWii Fitなどの発売を通じて、ゲームの有用性をアピールするという戦略を採用しているという。

 講演に続く質疑応答では、以下のようなことが論じられた。まず、ゲームの影響にかんするより信頼できる研究はないのか、ということについては、「ゲーム脳」理論の影響で、より信頼できる研究が注目されない状況になっているという説明があった。

 「ゲーム脳」理論はゲーム業界にどのような影響を与えたかという質問には、テレビゲームの売上は近年減少傾向にあるが、その原因は「ゲーム脳」問題とは別にあり、売上には直接大きな影響は生じていないという説明があった。ただし、『ゲーム脳の恐怖』出版以後、「ゲームをやると幼児の脳の発達が遅れる」といった質問に、イエスと回答する人の割合が増加するなど、人々のゲームに対する見方には影響があるという指摘もあった。

 ゲームそのものの問題点については、やりすぎがよくないのは確かであり、ゲーム開発者はゲームに熱中させるためのノウハウを持っており、それを用いてゲームを開発しているため、やりすぎが問題になる可能性はつねにあるが、近年は途中で辞めることができるゲームが主流になりつつあるという説明があった。

 府元氏の講演およびその後の質疑応答を通じて明らかになったのは、以下のような問題だろう。まず、「ゲーム脳」理論のように、科学的に疑問の余地が大きい理論について、一般市民がその真偽を判断することは困難である。とくに、「ゲーム脳」理論のように、既存のマスメディアが理論を支持し、理論の問題点を指摘する情報がインターネットなどの周辺的なメディアにしかない場合には、一般市民が適切な判断を下すことは非常に困難である。また、テレビゲームの影響にかんしては、「ゲーム脳」理論とは別の形で、より地に足のついた研究を進め、それに基づいてゲームの是非を議論する必要がある。ただし、ゲームの影響を明らかにするには、大規模で長期的な研究が必要だが、社会、とくに子供を持つ親は、はっきりした研究成果が得られる前に、ゲームをどのように扱うかにかんして判断を下さなければならない。ゲームの是非を実りある形で論じるためには、このような点も考慮する必要があるだろう。